2015年11月24日

躁転したこの頃

こんばんは。一週間半ぐらい前からフルな躁状態です。

今回の躁転のトリガーは、二週間ほど前のことでした。以前の記事「躁うつ病者のよろい」でも触れたように、私は今自立支援でのヘルパーさんを検討しているのですが、その計画を立ててくださる担当者の方に電話で話した時のこと。
今までは、自立支援で私のヘルパーさんをお願いする、そのための私の生活面での「自立」の計画プランを立てるために何度かうちに訪問していただいていたのですが、私の社会的自立(現実的には経済的自立)を目指す「生活訓練」という障害者福祉サービスの元での制度を、私が利用するか否かの話しにその電話の中で知らぬ間にすり替わっていいました。しかも何の前触れもなく、とても不意をつかれて心底びっくりしました。

躁転するぐらいびっくりな出来事で、もう心の整理も割合ついた今でも感情的な文面になってしまって失礼しますが、彼女はあたかもイノセントに「りささんは自分の将来をどうゆう風にしたいのか、考えているのか、心配で、聞きたいんです」などとふと切り出したんです。話すうちに「ヘルパーさんを入れるのでは、りささんには何か違うような気がして。りささんは、今の生活で満足なのでしょうか。そうゆうことより、どうゆう目標をりささんが考えられているのか、私は心配で」などの趣旨のことを、スピーディに展開し出して、混乱と何とも言えない心の痛みが込み上げてきました。

どうゆう神経をもってあなたは、私の将来について、そしてその道筋を立てるのをサポートするらしい生活訓練を提案できるのだろう。はっきり言って、余計なお世話だ!と感じました。

それは、ただ単純に幼いプライドや長年経済的に自立が出来てこなかったコンプレックスの現れとしてでなく(もちろん多少はそうゆうのもあるけども)、本当に自分の心の核に土足で踏み込まれたようでした。

というと、私は発病してから10年間、まさに(人としての)精神的な自立及び社会的自立が病気によって妨げられたり、その定義そのものが
塗り替えられたりしてきました。ここを読むみなさんに説明するまでもないと思いますが、この病気は慢性病だから、それと生涯向き合っていかないといけないし、それをどうやってして行けばいいか、色んなハードルと自己矛盾を乗り越えるための葛藤と覚悟の繰り返しでした。
そうゆう中で、障害者として社会参加ができるか否かに存在価値をすべて委ねることはけっしてしなくていいし、むしろ存在価値の見方を塗り替える主体として障害者は誇りをもっていいんだ、と最近思えるようになりました。
というかそんな気難しい話以前に、社会的プレッシャーがどう罵ろうと、見下そうと、その障害者が働けててようと、働けていまいと、精一杯人として成長しようとしている限り、胸を張って生きていいんだ。この価値観をやっと心の核に置けるようになったけど、それでも今の社会のプレッシャーの抑圧の中だと、やっとのことです。

そのヘルパーさんの計画担当の方にも「ではりささんは自分でなんとかやるからいいんだ、ということかな。」と言い返してきたから、ここでも強調したいのですが、私は自分で自分の「自立」の定義や、自立の道を切り開ける、助けなど要らない!なんて傲慢なことを言うつもりなんてまったくなかったのです。

そうゆう障害者としての自分と向き合い、それ以上に人としての誇りを取り返していこうと思えるようになったのは、家族であり、自助会の仲間であり、先生でもあるし、何よりエルダーのおかげであって、そうやってこの病気の苦難を乗り越えた時、理解を共有できた時の喜びと絆を5〜10年間共有してきたみんながいてこそで、「専門家」であれまったくの部外者が、どうゆう権限を持って、私の「生き甲斐は何か」「昔の自分を取り戻すには(やっと今の自分に誇りを持とうと覚悟できた私には、違和感しか覚えられない台詞です)」「あなたにとっての自立、それをどう実現するか」(←すべて「生活訓練」についてのパンフレットに書いてあったこと)をサポートするというの?という感じです。
(感情的になってそうは聞こえないと思いますが、けっして生活訓練という制度を利用している方々のライフチョイスを否定するものではないです。現実にこの制度で大変病気のサポートを得られて助かっている人はいると思います。
ただ、その「りさは今以上に自立のサポートが必要」って提案があまりにも突然で、私のサポート網ももちろん、血のにじむような想いで培ってきた障害者としての自立の定義や価値観など、存在を全面否定されたと病的に受けとめた出来事だったから、どうしても表現が今でも過度になってしまっています。)

そうゆう怒りと混乱の中で混合・躁転したのだと思います。その後すぐそのヘルパー計画担当者を紹介してくれた保険センターの担当者さんが連絡くれて、上記のような胸の内をばーっと泣きながら言ったら、「りささんのほんとの気持ちを聞けてよかった」と言ってくれて、ちょっと落ち着きました。こうゆう受身の押し付けのない姿勢が一番その時必要だったので、嬉しかったのだと思います。
躁転トリガーの電話から数日後、ヘルパー計画の方と保険センターの担当者がその計画やらを話し合うためにうちに訪問に来たときにも私はかりかりマックスでしたが、そのヘルパー計画の女性に怒りを向けるのは違うよと、その訪問の前にエルダーに言われました。今障害者の自立へのプレッシャーが強まっていて、この生活計画訓練だって、上から押し付けられた方針であって、彼女も気まずい立場におかれて困惑しているはずだからその気持ちを汲み取ってあげなさいと言われてはっとして、ちょっと気持ちも落ち着いて訪問が終わったころには謝ることもできてフレンドリーな感じを取り戻せてそれはよかったと思います。

でもとにかくそれがトリガーになって、いきなり話が飛びますが、以前の記事にもおしらせしたおうに、ツイッターを初めまして、それが躁を助長した面もあるかも笑。躁のお馴染みな症状として、言いたいこと、やりたいことが次々とぽんぽん浮かんできて、それをツイッターに書いたり、ツイッターを何回もチェックしつつ、お皿回しのような色んな今までできなかった家事やらなんやらを休みなくやっていす。でもこれは単純に爽快躁というよりは、混合まじりのとても落ち着きのない興奮状態で、セロクエルとリボトリールをかなり頓服として服用しています。
ただ、全然悪いことばっかじゃなくって、頓服が必要だなと気づけたのもツイッターで自身の状態を頻繁に振り返っていたおかげで、躁を助長するだけじゃなくて自分を見つめ直すのにいいメディアになり得るなとも思います。(それ以外にも普通に色んな人とつながられて嬉しいし♪)

今も常に何かやっていて、メルヘン躁もそうだけど、頭に未整理なアイディアがごちゃごちゃぽんぽんとうかびあがっています。
睡眠も二週間前のうつの15時間の過眠から劇的に変わって五時間ぐらいです。
とにかく頓服の調整を慎重にやりたいです。変な話、興奮状態を収めないと病識をもっていても、その頓服ののみ方がまた無茶になりそうで、例えばセロクエル2錠にリボトリール二錠に、前処方されていたレボトミンの余ったの飲もうかなあ?って勢いで、ODまがいなことになったら大変なので(今もハイのわたわたな動きと頓服入ったあとのふらふらが混同してなんか変なことになっている笑)ただ強い頓服に変えるってだけじゃなくて先生と慎重に躁・混合の対処の仕方を考えたいです。
今んとこ今までの躁転したあとの経過はざっくりこんな感じかな。この場を借りて振りかえら指せていただきました^^ どうもでした!
(ご飯食べた後に、ゆず味噌を作ったのでそれの過程でもアップしようかなーでもセーブだ、セーブ笑)

りさ

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posted by 徒然 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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