2016年09月25日

世の中を直接に感じるりさ

こんばんは。

とってもお久しぶりな、ダイアリー式な記事です^^

Dear Diary...とか中学校の頃書いたりしましたけど、見事に三日坊主だったなw

徒然ブログでは案外私なりにすごく、二年ぐらいほぼ毎日書いていたし、だからこそ、自分の存在価値はこの病気で下げられるものではないと思えるようになりました。(一番難しく、大事な気づき!)
むしろブログを通して考察する中で、病気は自分の価値観を深めてくれる材料をいっぱい与えてくれると気づかされてきました。

あまりここで書かなくなったからと言って、自己否定の塊にならなかったり、しんどくて頭で整理しないといけないことが減ったわけではけっしてないけど、そのもんもんの末の結論は常に「自分は生きる価値あり!引け目なく前へ進めー!」だともっと確信を持てたのかもしれません

多少前より自己処理できるようになったのかもしれません。(←エルダーにわんわんぎゃんぎゃんぶつけて話し合ったりした後だから、「自己」処理とはまた違うけど笑)


☆☆☆


さて、この一週間ほど実家に帰っていました。(実家に帰らせていただきます・・・って意味合いでなくて、単に体調が許すタイミングを逃さず帰らないと、いつ帰れるかわからないから汗)

父は親戚の結婚式でアメリカに行っていたから、お母さんと二人でいっぱいクオリティタイム。

犬の散歩がてら長時間ウオーキングしたり、カラオケに行ったり、ちょっと前の実家帰りはもう、帰るってだけでキャパオーバーして寝っぱなしだったから汗 そういう余裕を持てることそのものが幸せです。

ただ、私の方からの話題というのが、入院の時のこと、病気のこと、何かと暗い苦笑 でも、お母さんによると、私がどれほどこの病気でしんどいのか、会って話し合えるぐらい体調がいいと普通の人のようなので、まったく実感が沸かないから、振り返って教えてくれる方がいいとのことです。

それと、私は24まで家にいたけれど、それ以前(とくに20歳前後)の躁エピソードがまったく頭から忘却していて、逆にお母さんに教えてもらって気づかされることがあります。

今回教えてくれたのは、私は17歳の躁時に書いたたくさんの詩に、20歳の時にメロディをつけたいと思って、うちにはピアノがなかったので、ピアノを貸してくれるスタジオみたいなので毎晩作曲活動をしておりました。←ここまでは覚えている

お母さんによると、私はそれらの作品を、家の近くの会場で発表したい、演奏会を開きたいと言い始めたらしいです。まったく覚えていない・・・。

hamsterpiano.png

(久々のペイント!)

しかも、その会場、大きい真っ赤なグランドピアノがあるんですが、その上にハムスターを乗せながら演奏したいと言って、ピアノを利用するには申し込まないといけないのですが、実際会場の責任者に申込書を持って行って、その旨伝えたそうなんです。

もちろん責任者は「うーん・・・ハムスターはちょっと・・・」という感じだったみたいだけど。そんな会話覚えていない!

「しかし、何でハムスターをピアノの上に乗せて演奏したかったのだろう?」ってお母さんに聞いたら

「ハムスターの動きに合わせて、弾きたかったみたいだよ」とそんなプランをお母さんに伝えていたのかい・・・。


私はかなり病気が早期発見だったので、シュールなレベルでぶっ飛んだ躁体験はうーん、その頃入院してちゃんと服薬し始めてからストップしているように思えるんだけど(プラス、関東ウエーブに出会って病識を持つようになったのとセットで)、

☆☆☆

逆にあの頃うつもひどかった、ひどかった。

お母さんと今回かなり時間を過ごせて、「大人としてしっかりしているのをちゃんと見せなきゃ!」という最初の緊張が取れて、甘えモードに入っちゃったのか、昔のようなうつエピソードがある晩出てしまったのが残念でした。

昔の記事でも書いてある「名のない症状」なんですが、→ http://bipolar.sblo.jp/article/59925158.html


子供が、例えばころんで泣き出して、親は自分で立ちなさいとか、逆になだめてあげるか、どっちも関係なく、もう頭が泣きモードに入っていて、結局ひざの痛みもなくなったのに頭がぱんぱんで涙とえっくえっくってのが止まらなくてとりあえず涙が頭から出て頭がすっからかんで落ち着くまで泣き続けるしかないみたいな・・・わかります?

そんな子供帰り状態なんですが、まあ、その子供と比較して言えば、子供が泣いている「理由」は「ころんだから」でも、私は「病気との長年の闘いにほとほと疲れたから」になりますが、なんせこれは普通に泣いている、と違って、病気の症状なので、理由を通り過ぎてる状態なんですよね。

☆☆☆

というか、エルダーが放送大学の「錯覚」についての講義を見ていて、世界はたくさんの情報があって、人間はすべてを取り入れたらパンクしちゃうから選んで情報を吸収しているんですって(つまり私たちが見ている世の中は私たちの脳が正常に動作できるための解釈であって、その機能がバグったら錯覚を起こすとかとか)


だから躁うつ病の私たちはきっと人一倍、周りの情報量を取り入れちゃうというか、そのブレーキがなく、直接世界を取り込んでしまうから、キャパオーバーしやすくて、「理由」もなく病的に感情がぶっとんじゃうのかもしれないですよね。

私の場合、いい情報(お母さんといっぱい話せた!カラオケ行けた!)も悪くとも解釈できる情報(お母さん病気の話しどう受け止めたかな?心配かけたくないな)も、普通の人にすればマジたいしたことない活動量(犬の散歩)も、それだけで人が目の前で殺されてるんばかりの絶望!ヒステリ!泣き発作として爆発しちゃうんですよね。

というか、そうしないと、一つの言い方で言えば、ストレスを発散できないし、もう一つの言い方を言えば、そのストレスがキャパ越えしそう、と周りに伝えることができないんですよね。

ほんとに、大口を泣いている赤ちゃんみたいな。それしか自己表現の手段がないというか。赤ちゃんや子供って、ほんと大変だよな、お疲れさま、ってこの病気になってから思うようになりました。

口で言えばいいんじゃないの?と言われるかもしれないけど、もちろんそうしたらしたいし、そのためにキャパ越える前にセーブして病識持たないといけないんだけど、今回私みたいにトチってあれこれやりたい!ってうかれてつっぱしちゃった場合、

もうもう動物が死ぬ一歩手前と同じぐらいの緊急事態ですから、そんな表現の仕方をしないと、緊急性が伝わらないんだろうなと思います(←もちろんそんなの戦略的に考えてやっているわけじゃありませんが)


直接的に世界を感じてしまうりさ。これはエルダーの名言ですが、そんなちょっと迷惑だけど、素直な存在があってもいいんじゃないかしら。(お母さんは疲れさせちゃったけど;; ちょっと不安定な分、動ける時間も増えてきたんだよ。だからマイペースながら自己を鍛えて、来月でも出直してきます!←母の誕生日月)

冒頭でも言ったように、私たちの存在価値はこの病気で貶められるどころか、それと向き合うものが世界観を深めざるを得ない何かを突きつけていると思って仕方がないからです。

はあ、ずいぶん書いてなかったから、ずいぶん書きたいことがたまっていたな!今日はこれぐらいで笑

あともうちょっとでチャットデー!話すこと、残っているといいけど笑

りさ
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posted by 徒然 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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