こんばんは。
子供時代によく聞いていた、スキャットマンジョンについて最近思い出しました。
90年代のスキャット(主にジャズで使われる歌唱法で、意味のない音(例えば「 ダバダバ」「ドゥビドゥビ」「パヤパヤ」といったような)をメロディーにあわせて即興的( アドリブ)に歌うこと)ソングで、トップヒットを出した方ですが、
実は彼は子供の頃からひどい吃りに悩まされていて、それで長年体調も崩してしまったようです。でも、コミュニケーション障害で同じ境遇の人たちとの時間を積み重ねて、それとどう向き合うか、積極的に考えるようになるまで体調が上がってきた時、考える余裕ができて、それそのものも苦悩だったそうです。
もちろん同じ症状ではないけれど、私も躁うつってなかなか言語化できない病状を、他者に理解してもらう以前に、自分がどう積極的に向き合っていくか、その手段を模索するのにも勇気がいりました。
でもスキャットマンがあえて吃りって弊害を真正面からチャレンジするともいえる、舌がこんがらがっちゃうぐらい早口で楽器なみにスキャットを通じて「コミュニケーション」するって飛躍的なアイディアがすごいなと思いました。それで代表的な「スキャットマン」って曲で、みんなそれぞれ何らかの形で吃っているけれど、そんなので自分を押し出すのをあきらめないで、スキャットマンができるんだから、みんなもできるよ!ってメッセージがこもっているんです。
私も、実際に躁うつという「障害」を乗り越える力がないと悲観するし、展望を持ててもそれを発信できる自信が持てなかったり、そんな自分が情けなくて悪循環になったりして、さらに存在を打ち消したなることもあるけど、スキャットマンみたいに、一生懸命、誇りを持って、顔を上げて(スキャットの場合、声と体をめいいっぱい押し出して)存在してるんだ!って、
普通のコミュニケーションというか、苦悩やその中で思いっきり力を使って展望をつかもうとしてることを、自分の存在の生き生きさ、それを通じて障害と向き合うパワーを、自分にも他者にも表してみたいな。
なんだろう、躁みたいな爆発じゃなくて、コミュニケーションの困難の逆がスキャットの流暢さだとすると、躁うつの困難の逆(?)ってどんな自己表現だろ。躁転みたいじゃなくてと言ったけど、そんな自己否定の塊を塗り替えるような生命力も、躁の中に内在化していると思うけど。そんな自信をスキャットマンから見習いたいな。躁うつウーマンもできるんだから、so can you!(あなたもできる)ってパワーが他者にも伝わるような、存在感。とにかく顔を上げて生きていこう。
なんて寝る前に思いました。おやすみなさい!っぱぱろっぽ!笑
りさ