2012年11月09日

名のない症状



hossa.png

こんにちは

今日はとっても調子が悪いです。
久しぶりにちょっと「発作」気味です。


この病気になると、本に載っていないし、先生に言っても名前をつけてもらえないような、自分独特な症状が出ることって、ありませんか。


私の場合はこの「発作」がそうです。

何かにとりつかれたかのように、
「もういやだ、もういやだ、もういやだ」
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
この二つか、あるいはちょっと違うバリエーションの言葉を繰り返し繰り返し、何時間でも何時間でも連呼します。

自分の意思を超えて、口から出てくるので、止めることができなくて、苦しいです。
結局、そのストレスがあんまりで、泣きじゃくりだして、ぎゃーぎゃー叫びながら例の言葉を連呼し続けて、最後はうわ〜んと叫んで、少しの間止みます。


泣いている時の方が、一応自分の自己表現としてやっているので、取りつかれたような「発作」よりは楽です。しかし周りにはとんだ迷惑です。
さらに、そうやって一回止んでも、また数十分経ったら、自然と悪夢みたいな、
「いやだぁ〜いやだぁ〜どうしよう〜」が口から小さく出てきます。

毎晩毎晩、19歳〜21歳ぐらいまでこれを繰り返して、それを治すために入院をしたぐらいです。結局半年入院しても治りませんでした。


その裏の心理について、ずいぶん考えましたが、
「もう、。一人で苦しむのはいやだ、だれかに助けてほしい」という、助けてコールなのかな、と思いました。それで、周りの人が助けたくても、なかなか治らない病気だから、発作もなかなか治らないのかな、と。


実際、助けてコールらしく、
誰かが(というと、親)がかけつけて来て、話しかけてくれると、当分収まります。

親が、「発作が収まったから」と言って、私の部屋を離れると、また始まります。
そして、戻ってきてくれないと(大抵夜で、親は疲れ切って寝ているから)
どんどん、どんどん、ひどくなっていきます。
だから親は私と朝まで付き合わないといけない日も何回もありました。


その発作が、だんだん止みだしたのは、同病者との付き合いを始めた時と、あと同病者の彼の家に遊びにいくようになってからでした。

この裏の心理を、分析してみましたが、
多分、「自分以外に、自分と同じように、助けのいる人がそこにいるんだ」、と感じると、自立心が芽生えて、発作の欲求を抑えるようです。


この発作は、自分の意思でやっていることではないので、事後に分析するしかないのですが、


ぶっちゃけ、実家にいる時は、一種の甘えとして、発作が出るのでしょう。子供のように、もうこの病気いやだよ〜って。

だから、今は実家にいるので、発作がちょっと出てしまうのかもしれません。
彼の家や、今振り返ってみると、入院病棟でもほとんど出ていませんでした。周りも同じ病気なんだから、大人になって、みんなと一緒にがんばろう、って。


ありのままの自分をさらけだす、一種の発散方法なんだ、と今までできるだけ発作をポジティブに捉えていました。なんせ、何をどうしても治らないから、前向きに捉えるしかなかったので。

でも、今は、発作が治まる場所や、それを収める裏の心理を理解しました。

過去に日記でも書きましたが、とにかく実家にいるのは自分にとっても、親にとっても、精神的によろしくないと思うし、
早く精神的な自立を果たしたい、今日この頃です。

結論はこれです。

・・・なんだか暗い話に付き合っていただいてありがとうございます。(^^;)

精神障害でなくても、人は誰でも、自分の心の内を表す「症状」が、自分の意思を超えて、たまに出ているんじゃないか、と思います。
爪をかむとか足ぶみをするとか、あるいは私の「発作」みたいに、まだ名前がついていないようなものも。
その裏の心理を分析して、自分の言動を理解していけば、ちょっとずつでも、心の中にゆとりと希望をもって、建設的な方向を歩んでいけるんじゃないかな。

そんなふうにもうちょっと強引に結論を伸ばしたところで(笑)
終わりです。


ではでは(^^)ノ


-どんより雲の下のりさ

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posted by 徒然 at 14:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
今読んでた小説から、そのまま抜粋します。


『私は崩れた声で叫んでいた。
(超不遇な小学生に対して超不遇な女子高校生が叫ぶクライマックスシーン)

「ほしいものがあるときは、それを言っていいんだよ。
痛かったら泣いて、苦しかったら助けてって言っちゃえばいいんだよ。きっと誰かがどうにか、力を貸してくれる。もう嫌だって、逃げちゃえばいいんだよ。そうすることだって、できるんだよ。

誰かと繋がりたいときは、縋りついたていいんだよ。相手の事情なんて無視して、一緒にいたいって、それを口にしてもー・・」

言いかけながら気付く。それが自分自身に向けての言葉なのだということに』
ー辻村深月 凍りのくじら よりー


だそうです。

りささんは、自分を客観視してよい方向に持っていく正(+)のパワーがあって、いいなぁ、と思います。

私の場合は、りささんの言葉をかりるならば、ODが「寂しいから助けてコール」になっています。


冒頭に書いたのは、ちょっと行き過ぎかもですが、でも誰かに縋りたいときは縋ってもいいかなぁ、なんて甘い考えの私です。(と言いながら、縋れずいつも自滅してますがw)


だけど、りささんの言うとおり、建設的な方向に持っていくには、自分の改善したい行動の根本を探ってみる必要もあるかもしれないですね。


りささんなら、素敵に自立ができると信じています。
Posted by うら at 2012年11月09日 15:22
たまに思うんです。
こんなに心の内を恥じらいもなくwさらけ出せるのって、
私たちの欠点じゃなくて、「能力」なんじゃないか、って。

縋り付く・・・相手に縋り付くことは、自分をさらけ出すことと、同義語だと思いますが、

それは相手にとっても、自らをさらけ出す機会になるのでしょうね。

おたがい強がって、変なプライドをもって、肩を貸しあわないよりは、

泣きじゃくって、鼻水がおたがいの肩についちゃうぐらいww、そんな関係の方が

正直で、おたがい成長するかもですね。

もちろん、ただ縋り付きのくりかえしじゃなくって、
自分がさらけ出した心の傷を見直して、

その傷が癒える方法を、客観的に捉えられるといいですよね。

それを自分ひとりじゃなくて、もう一人いると、ほんと心強いと思います。


すてきな引用ありがとうございました。
辻村深月さん、読もう〜!

-りさ
Posted by りさ at 2012年11月11日 02:12
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