2013年03月14日

私の病歴(2)

こんばんは。

病歴って、初診の時とか、何回も言うから、
なんだか慣れてしまって、前回の記事を読み返してみると、自分のことのくせに、なんだか心がこもってないなあと反省しました(^^;)

違う記事でも書いたことあると思うけど、精神の病を担うと、自分の人生を振り返るいい機会になると思います。
・・・もう嫌んなっちゃうぐらい振り返ることになりますよね(笑)
でも、本当はそれぐらいが丁度いいんじゃないかな、自分を知るにあたって。


さてさて、前回の続きです。


私は、2005年の7月にアメリカのサマースクールを終えて、お父さんの大学時代の知り合いの家を訪ねていました。

父の知り合いの息子は、私と同年代だったのですが、
その子は夏休みで違う州のサマースクールにいたので、
私が暇をしないようにと、その息子の男友達が私に一日付き合ってくれることになりました。


結論から言うと、その日の終わりにいきなり告白されました。
告白の言葉をそのまま書くと、「You are beautiful.(あなたは美しい。)」

そんなロマンチックなこと言われたの生まれて初めてだったので、私はコロッと恋に落ちてしまい、その場でキスをして、付き合うことになりました。
しかし、私は次の日に東京に帰ることになっていたので、アメリカと日本とで、遠距離恋愛が始まることになりました。


私は彼と別れた後、一つの心配が頭から離れませんでした。
「私が気がおかしいとバレたら、ふられてしまう。」

私はうつでほとんど口が聞けない状態だったので、一緒にいた時間が短ったのが幸いして、なんとかその日は「無口な人」という印象で済んだのだと思いますが、

残りの夏休み、そして学校が始まってからも、必ず一週間に一回電話やスカイプで彼と話しました。
3時間ぐらい毎回「話す」のですが、私は大げさでなく二言か三言しか話せませんでした。
彼は、最初の通話で異変には気付いていたようですが、それには触れずに毎週毎週優しく私に接してくれました。


そうゆうお付き合いが2005年の11月頃まで続きました。

高校四年生になって、受験勉強も一番大事な時期に差し掛かっていたのに、私の成績は高校時代の最悪記録を更新していました。


しかし、その11月、
私のうつを文字通り逆転させる日が来ました。
彼が私を「愛している」と言ってくれたのです。



その日の感覚は一生忘れないでしょう。


論理的に頭で何か考えたわけではありませんが、
その会話の中で、ふっと笑いがこぼれました。
あんな気持ちを込めて笑うことなんて、一年ぶりでした。
そして、私はジョークを言いました。
ユーモアのセンスを持ったのだって一年ぶりでした。


彼とのスカイプを切った後、私はCDプレーヤーの中に、ビートルズの「A Hard's Day's Night」を入れました。
音楽を聴くのだって、もう一年ぶりだったでしょう。
It's been a Hard Day's Night!
今まで何て、つらい昼と夜の繰り返しだったのだろう、と自分に言い聞かせるようでした。


私はCDプレーヤーを持って、家の近くの川辺を何時間も行き来して、家に帰ってきて疲れ果てるまで音楽に合わせて踊りました。

頭の中では「彼は私を愛してくれてたんだ!」という言葉を巡らせて喜んでいましたが、
本心は、
「こんなおバカのように踊るなんて、ああ、なんてりさらしいことなんだろう。またりさが戻ってきたんだ!」
本当はそれを祝福していたのかもしれません。


いずれにせよ、ビートルズが「All You Need Is Love」と歌うように、死ぬという選択肢しか残されていないと感じていた毎日から、彼の愛が私を救ったのです。

愛って本当に、人に命を吹き込む、すべてなんだ。
その哲学は、次の数日を経て、自分の中で身に染みて感じたことでした。


次の数日で、他に不思議なことも起こりました。
私はサマースクールで詩の授業を受けていたのですが、うつで私の詩はほとんど書きかけでした。
彼が愛していると言ってくれて三日ほど経った後、ふと書きかけの詩を一つ終わらせて、彼にメールで送ってみました。

そしたら、彼からすごい賛美のメールが戻ってきました。「You are so beautiful.」と。

本当に上手い詩だったかどうかは、あまり自然に浮かんだものだったので、自分で判断はつきませんでしたが、
彼に褒められるのが、「愛している」と言われたことぐらい嬉しかったのを覚えています。


その後も、毎日一つや二つは必ず詩を書いて、彼に送りました。
頭で考えて書いていたわけではなく、ほとんど反射的にしてしまうことでした。
結局は100以上書いて、まとめて編集者に送りました。(どこにも載らなかったけどw)


その後の10か月ほど、今までのうつの自分とはまるで違うのももちろん、15歳で健康だったころとも違う自分がそこにありました。

要するに私は躁転したのです。


彼はアートが趣味だったので、いろいろなアーティストについて教えてもらいました。
私は15歳までは、思想や哲学を持つのとは程遠い、能天気な子供っぽい子供だったのですが、
なぜか彼が言う難しいことに対して、ふっと頭の中に、私なりに難しい意見が浮かぶのです。

授業でもそうでした。15歳までは大人に話す勇気がなくて、授業でもほとんど手を上げなかったのに、授業の内容に対して、色々な意見が浮かんで、先生とも授業の外で話すようになりました。
今振り返って思うと、躁転と私の成長は切っても切れないことだったと思います。


15歳まで大好きだった演劇もまた始めて、成績も人並みに良くなって、ハイテンションなおしゃべりな自分も取り戻して、大学にも無事合格しました。彼の大学とは州が違ったけれど、私にはもったいない、良い環境の大学でした。


彼は、2006年の4月には東京を訪ねてくれて、お花見をしたり一緒に色々な美術館を巡って、素敵なひと時を過ごしました


無事高校を卒業して、2006年の夏休みは彼の家で過ごして、自分の大学に行って、寮でお友達も作って楽しく過ごしていました。


しかし、大学に到着してから一週間後、いきなり彼にふられました。
言葉で言った理由は「ニューヨークの暮らしがあんまりに刺激的で、りさのことを考える余裕がなくなった」というようなことでしたが、
多分、ただ単に気持ちが冷めたのでしょう。

夏休みに彼の家にいる時ぐらいから、私の激躁のエネルギーは切れつつありましたが、それと関係あったのかもしれません。
例えば、彼は私の詩をそんなに評価していなくなっていたし、自分でも自然に浮かばなくなっていたのに気づいていました。
皮肉な話、私の作品に対しての彼の褒め言葉を、私が愛情表現のように受け止めていたように、
彼にとっての私の魅力(beauty)というのは、私の詩とか、頭の回転の速さとか、要するに躁転の産物たちから来ていたのかもしれません。


その頃は彼を恨んで止まなかったですが、今になっては、彼の別れ話は、私の人生の中での、ほんの一つのうつ期の引き金であったと冷静に思えます。むしろ、彼は私の最初のうつ期から救ってくれた命の恩人と言っても過言ではありませんし、今も心から感謝しています。



とにかく、私は彼にふられ、一番最初に思ったのは、「彼の愛無しでは、私は生きていられない。また気をおかしくしてしまう。」ということでした。


そして予想通り、私は第二の激うつに陥りました。

あれほどひどいうつは、その前もその後もなかったと思います。


<次回に続く>


‐りさ

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posted by 徒然 at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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